腕の体性感覚情報が
並進移動時の補償性眼球運動に与える影響

笠井研究室  山科 仁史

1. はじめに

我々は日常ジョギングをしているときに看板の字を安定して読むことが出来る。これは、我々が頭の様々な運動(回転,並進)を補償する眼球運動機構を持っているためである。頭の回転を補償する仕組み(VOR)が暗闇の中でも強く働く(反射性)のに対して、並進運動を補償する仕組み(LVOR)は暗闇では目標位置の明確な意識がなければ、ほとんど働かない(反射性が弱い)。このことから、LVOR の生成には目標位置情報が重要な役割を果たしていると思われる。

本研究ではまず最初に、頭を並進運動させたとき、視覚目標消去後の補償性眼球運動(LVOR)の速度が時間とともにどう変化するかを調べた(Hand なし実験:被験者は固定視標を注視し、視標消去後、目標位置を想起する)。次に視覚目標を手で摘むことにより、体性感覚情報を通じて位置情報をリアルタイムで与えたときの補償性眼球運動の速度について調べた(Hand あり実験)。同様に、視覚目標を動かしたときの眼球運動(SP: Smooth Pursuit)の速度も調べた。

2.実験結果

1)視標消去後の補償性眼球運動(Handなし)
眼球ピーク速度は視覚目標を消去すると急速に減少する(視覚目標注視時に平均85.3±4.6[deg/s] で、視標消去後のデータを指数関数(y = y0 + A・exp{-x/t0})でフィッティングすると、時定数 t0 = 544[ms] で減少し、4[sec]以上経過後は一定の値 y0 = 16.8[deg/s] になった)。頭の速度に対する眼球速度の位相進みついては、全ての被験者(3名中3名)について顕著な位相進みが見られた。また、サッカードの出現頻度については、視標点灯中(Light)より視標消去後(Dark)のほうが、出現頻度は高かった。
2)体性感覚情報が与える影響(Handあり)
定常速度y0について、腕の体性感覚情報与えることによって増加していた。(被験者3人の平均:84%増加) 時定数t0ついて、全ての被験者(3名中3名)において、ほとんど差はなかった(Hand なし実験に対して±6%以内の差)。頭速度に対する眼球速度の位相進みについては、位相進みは小さくなった。

3.結論

  1. 視標を消すと補償性眼球運動速度は急激に遅くなる。
  2. その減少具合を指数減少関数で近似すると、時定数には個人差がある(0.15[sec] 〜 0.65[sec]) 。
  3. 顕著な位相進みが見られる(9.0 〜 52.6[deg])腕の体性感覚情報がある場合、
  4. 視標消去後の眼の速度に関して、定常状態(視標消去後4[sec] 〜 7[sec]) での速度は速くなる。
  5. 時定数については、体性感覚の有無にかかわらず変化しない。
  6. 位相進みが小さくなる(被験者3名の平均で、約51%減少)。
体性感覚情報は定常状態における眼球速度の増加に寄与しているが、時定数には影響を及ぼさない。したがって、LVOR 機構では視標のリアルタイムな位置情報が有効に利用されていない、と考えられる。視標消去後の眼球速度の急速な減少は、事前に保持された目標位置情報というよりはむしろ、目標の速度情報の経時的な劣化に対応していると推察される。